2023年3月12日10 分

はじまりのお話



 
AFRICL(アフリクル)は代表 沖田が、大学生の頃にベナン共和国で初めて暮らした経験から、構想を描き、約7年後の2020年に立上げたブランドです。
 

 
本日は、なぜAFRICLが生まれたのか?
 
そのはじまりのお話をお届けできたらと思います。


 

 
AFRICLは
 
"凛と生きる すべての人に笑顔のきっかけを"というConceptを掲げ
 

 
"伝統文化を通じた 海を越えた豊かさの循環"というVisionを掲げているブランドです。
 

 

 
もう少しだけ具体的にお話をすると
 
「途上国」と言われる国と、日本と、そのどちらも、1秒でも心からの笑顔の瞬間が増えたらいいな、と願って
 

 
「途上国」の伝統的な手仕事を
 
日本の暮らしに心地好く、永くお使いいただけるようなお品として
 
お届けをしています。
 

 

 
なぜ、笑顔を増やすために
 
伝統的な手仕事を使った、永く愛せる一着をつくるのか?お話にお付き合いください。
 

 


  1. 「途上国」と呼ばれる国への想い

  2. 日本での想い

  3. 纏うものをつくる意味


1.「途上国」と呼ばれる国への想い


 
初めて、西アフリカ ベナン共和国の土を踏んだ時、私は国際協力の道を志し、様々な国際協力の分野やプレーヤーの中で、どこを目指すのがよいのだろう?というのを
 

 
「途上国」と呼ばれる場所で、長期滞在と現地のNGOでの活動を通じて考えたい、と考え、ベナンを"支援"する想いでいっぱいでした。

(ベナンの夕焼け)
 

 
しかし、ベナンで時を重ねるほど
 

 
そこに生きる人々の笑顔の多い暮らし
 
人生に起こる様々なことをしなやかに受け止める生き様
 
自分だけの一着が身近にあるテーラーメイドの文化と美しい布文化
 

 
に魅了され、私が"支援"なんてとんでもない、私の方が学ぶことがたくさんある…と思うようになっていきました。
 

 
バティック、インディゴ、カンヴォ、ボゴラン…
 
美しい伝統的な染物、織物文化に私が惹かれていく一方で
 

 
街中でそれらの伝統生地を纏っている人を見かけることは、ほとんどありませんでした。
 

 
日本でアフリカの布として有名なカラフルなアフリカンプリントを纏う人たちはたくさんいます。
 
また、若者を中心に多くの人たちが、Tシャツやデニムといった輸入品(や中古品の)既製服を"かっこいいもの"として纏っていました。
 

 
ベナンという、経済的にも物質的にも"発展"がぐいぐいと進んでいる国で、衣食住の"衣"という一側面ではあるけれども「"発展"≒欧米化」が進んでいる現実と
 

 
需要の減少とともに、工房が閉じられ、職人さんが高齢化し、生産量が減るとともに価格もあがり購入が難しくなる、日本でもずっと課題とされている伝統文化の衰退に、とても危機感を覚えました。
 

 

 
ベナンの文化に心惹かれ、これを発信していきたい、という想いは抱えつつ、
 

 
「途上国」の土を踏んだ人から良く聞く
 
"途上国の子どもたちの目がきらきらしている"という言葉
 

 
物質的には豊かなはずの国の暗い顔が並ぶ満員電車の風景
 

 
矛盾しているように見える現実は、なぜ生まれているんだろう、何がそうさせているんだろう、そんなことを考え続けた7年間でした。


 
そして今、AFRICLでは、伝統文化とは、意識の有無はあれど、私たちのアイデンティティを支えているものであり、その文化が失われるとき、私たちの精神的な支柱も失われうるものだと考えています。
 

 
"欧米化"ではない"発展"の在り方があっても良いのではないか?
 
笑顔あふれる暮らしを支える根っことして、その地域で紡がれてきた文化を、"発展"の先の未来に繋ぐことが、笑顔も未来に繋ぐことに繋がるのではないか?
 

 
そんな仮説をいだくようになりました。
 

 
職人さんから仕入れることで「文化の使い手」となり需要をつくることに加えて、日本で素敵、と言われているんだよ、ということをベナンで伝えていくことで、ベナンの中でも美しい伝統布がかっこいいじゃん、と感じる人が一人でも増えたらいいな、と願っています。

("インディゴ"(藍染)を染める風景)

("カンヴォ"を織る風景。写真を撮るよと伝えたらカンヴォで正装してくれました)
 

 
もう一つ、ベナンについては、ベナンとものづくりをするのであれば、ベナンで汗を流してくれている人たちにきちんとお金が入る形でものづくりをしたい、という想いがあります。
 

 
「アフリカ布」という言葉が、日本では度々見かけられますが、
 
アジアの中に、日本はもちろん、インドや中国などたくさんの国があり、そのそれぞれが異なる文化を持ち、美しい伝統工芸の歴史を受け継いでいるように
 

 
アフリカ、という場所にも、たくさんの国・民族があり、そのそれぞれが異なり、そのそれぞれがその地で紡いできた歴史や文化を持っています。
 

 
当たり前のようでなかなか想像しづらいことなのかもしれませんが、「アフリカ布」というと、カラフルなプリント布をイメージされる方が多いのではないでしょうか?
 
(細かく見ると技法も様々、地域によって呼び名も様々なのですが、ここでは"アフリカンプリント"と呼ばせていただきます。)
 

 
アフリカ各国でも纏う人がとても多く、アフリカ全土で文化として根付いているアフリカンプリントは、実は現地でも、今マーケットで売られているもののうち、アフリカで作られたものは多くありません。
 

 
AFRICLを立ち上げることを決め、すでに伝統布といっても過言ではない歴史をもつアフリカンプリントもAFRICLでも用いるか?という検討をするなかで、マーケットに何度も足を運ぶ中で驚いたのは、あまりにも輸入品が多いこと。
 

 
心惹かれた生地について、
 
「どこで作られた布?」と聞くと、返ってくる、
 
”China”の声。
 

 
ベナン以外のアフリカの国で作られた生地に出会えたのも、何軒も何軒もはしごした後でした。(こちらは、AFRICL立上げ時の話です。ここ数年でガーナなどのアフリカンプリントのブランドが急成長をしていたり、少しずつ状況は変化しています。(それらの大きなブランドも欧米資本なこともありますが…))
 

 
ベナンは、綿の生産が盛んです。
 
でも、生地や服などに国内で加工される割合は少なく、生地の多くは海外から輸入されています。
 

 
ベナンが豊かになっていく仕組みが、主産業で作られていないことにも危機感を感じました。
 

 
いつも笑顔で、母国を愛し、産業を成長を願って努力する彼らに
 
その努力が報われる仕組みが用意されていてほしい
 
市場では、ベナンはおろか、アフリカ、で作られた生地に出会うことも難しい。
 

 
そこでAFRICLでは、お品のメインとして使用する生地については、ベナンの染色職人さん、織物職人さんの工房に直接伺い、AFRICLに共感くださった職人さんと契約を交わして、彼らから直接仕入れを行っています。
 

(AFRICLが仕入れをさせてもらっているバティック職人さんとの1枚)
 

 

 
それでも、染物職人さんに、もとの生地はどうしたの?と聞くと、中国資本の工場で買ったのだ、ということもままあります。
 
ベナン人によるベナン人のためのオーガニックコットン農場、織物工場を作ること、がAFRICLの夢でもあります。
 
生地を作るすべての工程で、ベナンにお金が入る仕組みを作りたいと思ってます。


2. 日本での想い


 
「途上国」への想い、にも綴った
 

 
「途上国」の土を踏んだ人から良く聞く
 
"途上国の子どもたちの目がきらきらしている"という言葉
 

 
物質的には豊かなはずの国の暗い顔が並ぶ満員電車の風景
 

 
矛盾しているように見える現実は、なぜ生まれているんだろう、何がそうさせているんだろう、そんなことを、日本についても、同じく7年程ぐるぐると考えていました。
 

 
行きついた一つの答えが、1万円で買えるものの価値の違い、でした。
 

 
出先で寒いなと急いで買った一着、
 
旅先で一目惚れした旅の香りを思い出させてくれる一着、
 
もし、その購入価格が同じでも、
 
後者の方が、袖を通したときのしあわせ感、お手入れをしているときのしあわせ感、が強くありませんか?
 

 
市場価値が同じでも、
 
 ・想い出の場所に着ていった一着
 
 ・自分のこだわりや好きが詰まった一着
 
 ・長い間、憧れ続けてついにお迎えした一着
 
そんな「自分の想い」や「すき」が詰まった一着は、
 
しあわせにしてもらえる時間が長続きする付加価値のようなものがあるような気がします。


 
先生や親のいう事を聞ける子が良い子
 
制服のあるべき着方が決まっている文化の中で育ってくると
 
「これが正解!」という発信に従うことに慣れたり
 

 
無意識に周りの誰かのいいね!を求めたり
 
影響力のある人が良い!と言っているものを真似たり
 

 
自分が纏うものを実は自分の「すき」で選んでいないかも?ということに気づきづらいのかもしれない
 
それが、日本に対して思ったことでした。
 

 
人にどう思われるか、とか、流行っているから、とか、自分以外の軸で選んでしまう人が多いでは?と思うのです。
 

 
物質的豊かさ故もあり、選択肢がありすぎて、誰かある程度決めてくれた方が楽、というのもあるかもしれません。
 

 

 
日本の衣文化について、もう一つ
 
洋服に期待されるプロダクトライフ(使用期間)が短すぎる、という想いがありました。
 

 
私の個人的な事情ですが
 
姉のおさがりが多かったり、お気に入りにシミをつけてしまった時、刺繍をしてくれる母の影響もあり、10年以上お気に入りを纏うことが私にとっては当たり前でした。
 
(小学生の時に姉のおさがりで引き継いだウールのスカート(150の子供服)はいまだ現役です…笑)
 

 
そして、本当に自分の「すき」に刺さる一着と永く暮らしていけるということのしあわせも感じさせてもらっていました。
 

 
一着に永くしあわせにしてもらえるのもちろんですが
 
私の人生の様々なシーンも見届けてくれている一着には、愛着や思い入れもむくむく…
 

 
それは紛れもなく、服 なのですが
 
自分を見守ってくれるような
 
元気が出ない時や勇気が必要な時にはそっと寄り添ってくれるような
 
そんな存在になっていってくれる気がします。
 

 

 
自分の"すき"でお買い物をしたら、もっと同じお金で買えるしあわせの量と時間が増えるんじゃないかな、そしてその一着と永く生きていけたらいいな、そういうお買い物の仕方が当たりまえになったらいいな、と感じたところから
 

 
AFRICLでは、
 
一着が、その子をお迎えくださった方を笑顔に出来る量を
 
瞬間的な量 × 頻度 × 時間
 
に分けて考え、一秒でも多く笑顔を増やせたら…とものづくりに向き合っています。
 

 
具体的なアプローチはAbout usにも綴っていますので、ご覧になってみていただけたら嬉しいです。
 
このあたりの想いを詳しく綴ったStoryもお届けしようかな、と思います。

(アプローチの一つ、1サイズで様々な体型に馴染むお品の企画)
 

 


3. 纏うものをつくる意味

これは簡単。
 

 
纏うもの、が纏う人にくれるちからを信じているからです。
 

 

 
悲しいことがあった日に
 
お気に入りの柄の一着に袖を通したら
 
なんとなく気分が上がったり
 

 
緊張するプレゼンがある日や
 
ちょっと勇気を借りたい日に
 
背筋がのびる一着の力を借りたり
 

 
そんな経験がある方は、すごく多いのではないでしょうか。
 

 
私は何度も何度も、纏うものの力を貸してもらいました。
 

 

 
AFRICLが目指しているのは
 
"凛と生きる笑顔のきっかけ"であって
 

 
纏うことで背筋が伸びたり、前向きになれたり、そんな一着を目指しているわけではないのですが
 

 
せわしない日々を生きる中で上手く笑えない日も
 
きっとある、それでいい
 

 
そんな中でも笑顔のきっかけにAFRICLの一着がなれたら嬉しいと思っています。
 

 

 
もともと私自身、服が好きで、纏うものと付き合っていくこと、日々の暮らしでその日の気分やお出掛け先、会う人にあわせて装いを選ぶことが大好きだったということや
 

 
AFRICLを考えるきっかけをくれたのが
 
ベナンでの美しい布文化との出逢いだったということもあり
 

 
纏うもの、をつくることは迷いなく、判断すらしていないくらい当たり前に決めていたことでした。


 

 
今回も長くなってしまいましたが…
 

 
AFRICLが
 
「途上国」と言われる国と、日本と、そのどちらも、1秒でも心からの笑顔の瞬間が増えたらいいな、と願って
 

 
「途上国」の伝統的な手仕事を
 
日本の暮らしに心地好く、永くお使いいただけるようなお品として
 
お届けする理由を綴らせていただきました。
 

 
AFRICLが目指していること、見ている風景、少しでも感じていただけていたら嬉しいです。

AFRICL 沖田紘子